2000年10月16日に雄武にある記憶や記録に残すために作られた石碑などを見て回りました。いろいろあったなあ。
(1)
幌内小学校 (2)幌内ダム (3)上幌内 (4)幌内峠 (5)上雄武 (6)中雄武 (7)沢木 (8)栄丘 (9)風の丘 (10)雄武神社 (11)100年記念広場 (12)雄武駅 (13)宮の森公園 (14)農村広場 (15)雄武高校 (16)青葉 (17)豊丘 (18)北隆鉱山 (19)地蔵 (20) 興和
(1)幌内(PORO・NAI/大きい川)
幌内小学校前庭にある開校100年を記念した石碑で、土台の部分がタイムカプセルになっているようです。この石碑は、1997年(平成9年)の設置です。裏面には、校歌の歌詞が刻み込まれています。幌内は雄武で一番最初に開けた地域で、学校も歴史があるんです。
そばには、だれがいつどのような目的で製作したのかが全くわからないオブジェとでも言うような、ヒマワリが描かれた工作物があります。こういうものって、きちんとプレートなどを埋め込んでおかないと由来がわからなくなってしまうんです。
(教頭先生によると、タイムカプセルが入っているはずと言っていました。)
(2)幌内ダム
幌内ダムは昭和16年6月に決壊して、60名の尊い命が失われました。この石碑は、その事件の慰霊碑で「辛巳遭難慰霊碑」と記されていて、幌内川を見下ろす位置に立っています。
事件は昼間に起こったので、幌内国民学校に登校していた子どもたちは助かったのですが、未就学児と親たちなどが亡くなりました。助かった子どもたちの中の一人(今は60才をずいぶん越えている人)と同じ学校に勤務したことがありますし、ちょうどその頃、幌内国民学校に勤務していた人の中に、僕の叔母がいたりするので縁がちょっぴりある石碑です。
崖の上から現在のダムの様子を写真に撮ってみましたが、なんだかよく分からない写真になってしまいました。
21日に
息子と二人でダム本体まで行きました。崖の上から周辺をぐるっと見回しました。すると、獣道のような細い道を発見できました。そちらに足を運ぶと、けわしい崖の中をつづら折りに降りていく道があったのです。足を滑らすと、崖の下まで転がり落ちそうなけわしい道でした。一歩一歩確かめながら降りて行きました。足がすくみます。
ダムは、ずいぶん古くて、朽ち果てそうでした。問題は帰り道です。息子は軽快に登っていくのですが、僕は息もたえだえ。たいした距離でもないのにぃ・・・・・・・・。
さて、次はどこを見ますか?
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